TOYOTA CELICA 1st 1970-1977 (A2#,A3#)

1600GT(TA22 1970-1972) ハセガワ1/24 

2000GT LIFTBACK(RA25 1973−1975)LS1/24 New 

2000GT LIFTBACK(RA25 1973−1975)東京マルイ玩具1/24改造 一部画像追加 

1600ST LIFTBACK(TA27 1973−1975)東京マルイ玩具1/24改造 New 

HISTORY

1969年東京モーターショウ。トヨタブースに展示された一台のエクスペリメンタルモデル(ショーモデル)゛トヨタEX-1" このコンセプトを元に、一台の車が、開発されていた。その車は、同時に販売されるファミリーセダンと同時に開発され、主要コンポーネンツを共有化することにより開発、生産コストを押さえることを念頭に置かれていた。

トヨタ2000GTやトヨタスポーツ800に変わる、新しいトヨタのイメージリーダーカーとしてのポジションを継がせる為に開発されていたその車は、既に大企業となっていたトヨタにとって、先の2台と違い、販売台数が少数である事、すなわち収益性を度外視すると言う失敗は、許されなかった。そのために、海外のヒット作を参考にした。そう、世界NO,1であった自動車メーカー、フォードが世に放ち、スポーツカーの新しいあり方を提唱した車、マスタング。その車が開拓したスペシャリティーカーと呼ばれる当時の日本では、未開のジャンルに打って出る為に。その手法で作られた一台の車。誰でも気軽に乗れる高性能でかっこいい車。それが、新しい車のコンセプトだった。

そして翌1970年10月、その新しい車はセリカと名乗り、兄弟車であるファミリーカ−、カリ-ナと共に登場し、爆発的な人気を得る。これは、車自体の魅力もさることながら、革新的な販売方法にも起因している。グレードはもとより、エンジン、外装、インテリア、オプション部品を多数用意して、自分好みの車を作る『フルチョイス、システム』。そして、そのオーダーを全国の販売店と生産工場をオンラインで結びダイレクトに発注する事によって、納車時間を大幅に短縮する事が可能になった『デイリー・オーダー・システム』、この二つのシステムによって、飛躍的な販売成績が得られた。

大まかに分けると、ベーシックなET、普遍グレードのLT,、スポーティなST、そして、イメージリーダーのGTとなっており、GTは、『フルチョイス、システム』の対象外であったが、これは、基本的にフル装備の最上級車なため、オプションと言えばハードサスペンションと販売店で装着できるクーラーぐらいであった。(と思います。)

メカニズムは、既存の車種の物を利用していたが、GTのエンジンは、新開発のエンジンが搭載されていた。トヨタとしては、実質4機目となる、DOHCで、カローラ/スプリンター用のT型エンジンの排気量を上げた2T型をヤマハの手によって、DOHC化、トヨタにとって、初の大量生産DOHCユニットとなる、2T-G型が、搭載、ソレックスツインキャブによって、115ps/6400rpm、14.5kg−m/5200rpmを発揮、5速マニュアルトランスミッションを介して190kmhの最高速度を誇った。その実力は、モータースポーツでも、遺憾なく発揮し、数々の勝利を物にする。

そして、1972年8月、最初のマイナーチェンジが行われる。

これは、主に安全基準の強化の為の法改正に担う変更で、フロントグリル、テールランプの変更が目立ったポイントだが、一番のトピックスはGTをベースにハードサスペンション、ワイドラジアルタイヤ、油圧計を装備し、パワーウインドウ、FMラジオを省いたスポーツモデル、GTVが追加された。

それに先立つ1971年秋の東京モーターショウに一台のエクスペリメンタルモデル(ショーモデル)゛トヨタSV-1"が発表された。この車こそ、セリカの新しいバリエーション、LB(リフトバック)の先行開発車であった。近未来的な先の゛トヨタEX-1"とは異なり市販車然とした完成度であり、基本的な形状はそのままに、1973年4月、発売された。従来のクーペシリーズとは一線を画し、むしろ、ワンランク上の車格と言え、クーペにある1.4リッターは設定されず2リッターがメインとなり、1.6リッターも設定される。それに伴い、クーペシリーズにも2リッターが追加設定された。特に注目なのは、マークUGSSに搭載されていた145ps/6400rpm、18.0kg−m/5200rpmを発揮する18R-G型2リッターDOHCエンジンを搭載した2000GT。最高時速205km/hを謳った。

翌1974年1月、クーペモデルのフロントセクションが、リフトバックと同デザインに改められ、(排ガス規制適合対策に必要となる補記類追加の為のエンジンルーム拡張のため)2リッターOHCエンジンにEFI(電子制御燃料噴射装置)搭載車が追加される。

1975年11月、昭和50年排気ガス規制適合のため、マイナーチェンジが施され、1.4リッターエンジンと、1.6GTがカタログ落ちとなり、、フロントグリル、並びにリフトバックのテールレンズ形状が変更され、リフトバックGTに5マイルバンパーがオプション設定された。

そして、1976年5月に1.6リッター、同6月に2リッターOHC、翌1977年1月の2000GTが51年排気ガス規制に適合し、同年8月、フルモデルチェンジされた。

(掲載日2004年4月10日)

 

 

 

 

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