NISSAN LEOPARD 1986-1992 (F31)

3.0 Ultima Twincam (E-UF31) New 

Ultima Twincam (E-UF31) New 

Ultima Twincam Turbo (E-UF31) New 

HISTORY

ニッサンの高級パーソナルカーとして登場したレパードがフルモデルチェンジによって2代目としてデビューしたのは昭和61年2月18日。

先代に存在していた販売チャンネル別兄弟車『TR-X-トライX』を廃止しシリーズの統合を図るとともに、パーソナルカーとしてのイメージをより一層強調するため、従来モデルに設定されていた4ドアHTが廃止され2ドアクーペのボディラインナップとなり、エンジンも全車V型6気筒の2リッター(シングルカムのNAと可変フラップ式のJETターボ)と3リッターの二本立てとなった。

実は昨年5月にデビューしていた7代目スカイライン(E-R31系、ただし当時は4ドアのみのラインナップ)とローレル(E-C32系)と同時に開発、基本コンポーネンツを共用する兄弟車種で、開発主管も伊藤修令氏が兼任して担当していた(スカイラインは歴代の開発主管である櫻井眞一郎氏が急病のため引き継ぐ形となりましたが)。
ローレルはもちろんのこと、5ナンバー専用のスポーティモデルであるスカイラインとのキャラクターを明確に差別化するためかエンジンは直6はラインナップに存在せず(その代わりローレルには直6とV6両方の設定)全車V6、とくに3リッターは、先代のモデル末期に採用されたシングルカムターボのVG30ET型ではなく、新開発されこの車と同時にデビューした量産型V型エンジンとしては日本初のDOHCユニットVG30DE型。
そして2リッターユニットはシングルカムのVG20E型でセドリック/グロリアに採用されていたNAとフェアレディZに搭載されていたターボ、特にターボモデルは吸気コンプレッサー側に可変フラップを設けて加給圧を可変できる『JETターボ』を採用、ターボのニッサンの技術力も知らしめた。
サスペンションも同じくスカイラインで初採用となった4WSシステム"HICAS"では無く、これまた日産が万を持して開発した『スーパーソニックサスペンション』をトップグレードの『Ultima』に搭載。
車体前面に装備された超音波ソナーで路面状況を把握しコンピューターで演算してリアルタイムにショックアブソーバーの減衰力を可変するシステム。
インテリアにもパッセンジャーシートにドライバーズシート以上に工夫を凝らした『コンフォータブルシート』を設けるなど、新技術を盛り込み、贅沢な仕上げの高級パーソナルクーペとして生まれ変わった。

また、この後(86年5月)にデビューするスカイラインの2ドアスポーツクーペ『GTS』やフェアレディZとのすみ分けのためか、マニュアルミッションの設定を廉価モデル(後期型では消滅)のみに留め、あえてオートマをメインにすえ、新開発の3リッターエンジンも185PS(JIS-ネット値)に留めるなどパワーウォーズ戦争とも言われた当時の馬力至上主義とは一線を引いたものの、その戦略が裏目に出たのか販売台数では既に先行してモデルチェンジしていたライバルであるソアラに引き離されてしまう。
同じ3リッターながらも、ツインカムターボを投入した3.0GTリミテッドをトップにすえ、2リッターモデルにもツインカムツインターボを用意、マニュアルミッション車も用意するなどバリエーション展開によって広い購買層にアピールし、スペック的に優位に立ち商品力を上げていた。
もちろん日産もだまっている訳が無く、翌年6月にアルティマとXS-IIにマルチAVシステムを搭載する『グランドセレクション』を追加する一方で水面下でこれに対抗するための新ユニットの開発を進めていた。
ただし、本来はレパード用に開発されていたそのエンジンは、一足先にデビュウすることになったニューモデルに先行して搭載されることになった。
そう、日産のドル箱車種となり、シーマ現象とまでよばれ、高級車ブームの牽引車となった初代シーマと共にデビュウしたVG30DETである。
それと共に、2リッターユニットもターボモデルのみながらシングルカムからツインカム化とともにターボもJETターボからセラミックターボに変更されたVG20DET型に変更、迎撃体制を整え、これらのエンジンの追加を機に88年6月に大幅なマイナーチェンジを行った。
フロント周りは、大幅に改良され、特に3ナンバーのアルティマは、バンパーが延長され、マイナー前のバランスの悪さを改善、また不評をかこったインストルメントパネルに至っては、全くの新規デザインの物に改められた。
通常のマイナーチェンジでここまで改良することは、きわめて稀な事で、そのお陰と、平成元年4月に導入された消費税のお陰で大幅なプライスダウンがされたことによる影響、そしてTVドラマ『あぶない刑事』の続編『もっとあぶない刑事』での劇中使用の影響によって、アルティマ系の販売台数が上昇。

この後期型だけで、都合4年5ヶ月に渡って販売されるロングセラーとなった。
また89年には北米インフィニティブランドにて『インフィニティM30』として販売開始。シングルカムノンターボユニットのVG30E型を搭載、コンバーチブルモデルも投入されているがこちらは国内でのデビューはかなわなかった。

もっとも、ライバルであるソアラとの競合面や、実質的な販売台数的な営業成績の面から日産自体はこの車を失敗作と捕らえていたようで、次期モデルの開発そのものはストップ、そのまま販売もフェードアウトする予定だったものの、販売店サイドからの要請により、当初国内市場に投入予定が無かったインフィニティJ30を次期モデル『レパードJフェリー』として投入、それと入れ替わる形で92年5月末で販売を終了している。

実際、パワーウォーズに乗り遅れたことやATのみの設定だったこと(当時はATは少数派でマニュアルの方が人気があった)によるスポーツ向けユーザーへの訴求力が低かったことや、そして車両価格が高かったことなどの要因が重なり合ってか新車市場ではソアラの牙城を崩すことが出来なかったものの、『あぶない刑事』の影響もあって、固定ファンがいたこともまた事実で、中古車市場では人気の面で逆転、専門店が出来るほどの人気車種となったことも追記しておきます。 (掲載日2010年9月20日)

 

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