MITUBISHI GALANT 1976-1980 (A12#,A13#)

Λ 2000GSR(C-A123) クラウンモデル1/24 New 

Λ 2000 Supet Turing(E-A133)イマイ-アオシマ1/24改造New

Σ 2000 GSR(C-A123A)フジミ模型1/24New

HISTORY

昭和51年夏、三菱自動車は、基幹車種であるギャランのセダンシリーズのニューモデル『シグマ-Σ』をデビュー させた。

Σのサブネームが与えられたこの新型セダン、一連のギャランシリーズのニューブランドとしての位置づけながら、実際には従来モデルである2代目の『ニューギャラン』が初代ほどのヒットとならず、苦戦を強いられていたことから、通常のモデルサイクルともいえる4年を経たずして販売のメインとなるセダンシリーズを入れ替え、巻き返しを図るために開発され事実上はフルモデルチェンジとも言えるその一方で、実質的に三菱のラインナップとして、法人需要がメインともいえるデボネアを除けば最上級車種というポジショニングを与えられたことから、従来モデルよりも価格設定的に割高になった側面こそある一方で、従来モデルと比較して装備的な面でかなり充実させていた。特にセダンでリアシートにリクライニング機構を設けられたのはこの車が初(というかこの代限りになったみたいですが)であり、この車にかける意気込みは相当なものであったと思われます。

従来のギャランシリーズの流れを受けた、1.6〜2リッターのミドルクラスのファミリーセダンとして開発されたシグマは、従来モデルよりサイズアップしたにも拘らず、プレス方法の改善や制作方法にかなりの努力を勤めたおかげでサイズアップに伴う重量増を押え、従来モデルと車重をほぼ同じにとどめた新開発されたプラットフォームを元に、クリーンなスタイリングと豊富なバリエーション、そしてスーパーサルーンを筆頭とした高級感あふれるラインナップと新開発されたサスペンション、従来モデルを改良し、特にサイレントシャフト(2リッター、および1.85リッターエンジン)により6気筒クラスの静粛性を可能としたエンジン、そして何よりも、そつがなく、嫌味のないキャラクターにより、好調な滑り出しを見せ、再び三菱のドル箱車種に返り咲いた。

そして同年末の12月、シグマのコンポーネンツをベースに開発されたハードトップモデル(この時点までHTは2代目モデルを継続して販売)のニューモデルである『ラムダ-Λ』が満を持してデビュー。

この時点では2リッター、3車種のみのラインナップ(スーパーツーリング、GSR、GSL)であったが、国産初の角型4灯のヘッドライトに象徴される華美なスタイリングと、豪奢なインテリア、4輪ディスクブレーキを全車標準設定(ただし後述の1.6リッターには設定されず)したスポーティなサスペンションセッティングは新時代のスペシャリティーカーを象徴する存在感を放ち、シグマと同様にヒット作となる。

そして翌52年半ば、ラムダにも1.6リッターモデル(ツインキャブのGSとシングルキャブのSL)が追加され、ラインナップが拡充された。

そして同年夏、エステートバンが追加、3グレード編成で1600はカスタムとGL、2リッター車はセダンのスーパーサルーンに匹敵する装備を与えられたスーパーエステートと三菱の最上級車種としての意気込みが感じられ、商用ユースとなるライトバン的な要素は最廉価のカスタムだけにして、GL(セダンには設定の無いタコメーターを標準としている)共々バンというよりも、むしろワゴン的な要素の強いラインアップとなっており、またΣセダンとΛも、若干の仕様変更が行われ、特にΛではスーパーツーリングに本皮シート仕様の追加と共に、同グレードとGSRに北米輸出仕様に設定されていた衝撃吸収バンパーが採用される一方、Σの1850エンジン搭載車がラインナップから外れ、ツインキャブユニットを搭載する2000GSRと1600GSを除く全車が昭和53年度排出ガス規制をクリア(この時点ではラインナップにあったツインキャブモデルは51年度規制適合車の販売猶予期間経過を持ってカタログ落ち、なお現時点では何時まで販売されたかは手持ちの資料では判明しなかったことも追記いたします)。

翌昭和53年、三菱としては悲願であった従来とは別の販売チャンネルの追加として『カープラザ』店系列を展開し、ΣとΛもそれぞれに『エテルナ』のサブネームが与えられ、前後グリル等の衣装を変えて販売を開始。特にΣにいたっては角型2灯式ヘッドライトを与えられることによって明確なキャラクターの違いを見せた。なお、同年半ばにオリジナルのΣもマイナーチェンジによって角型4灯式に改められている。
Λに関しては大幅なマイナーチェンジが行われなかったものの、シリーズとしては初となる3ナンバーモデル、2600スーパーツーリングが追加されている。(追加された時期は確認が取れませんでしたのでこの時点では不明とさせていただきます)
従来の2リッター同グレードをベースにデボネア、及び輸出仕様に搭載されていた2.6リッター4気筒ユニットを搭載し、専用の2トーン塗装とボディ同色ミラー、更に大型となったバンパーが識別点となりますが、当時は3ナンバー車に対する税金がかなり高額だったことと、追加されたのがモデル末期ということもあり、実際に販売された台数はかなり少なく、今では殆ど幻ともいえる存在ですが・・・。

そして80年5月、フルモデルチェンジされるのですが、それらのニューモデルがことスタイル的に大幅な変更がされなかった事を見ても、この3代目ともいえるモデルが当時としてみてもかなり完成されていたといえるでしょう。(ただし、あまりにも保守的過ぎてかフルモデルチェンジとは認識できなかった方々もいたのは否定できませんが)。

一連のギャランシリーズ全体から見ても間違い無く大ヒットとなったこのΣとΛ。
当初こそ、スポーティモデルを用意してはいましたが、実質的には高級感を全面的に打ち出すことによってアッパー5ナンバークラスにおいて他メーカーのライバルに対して優位性を持たせ、そしてこの市場において一角を担ったその功績は多大なる事と思いますし、三菱自動車にとっても起死回生の願いを込め、好成績を残すことが出来たこの3代目ギャランは三菱の歴史を語る上で外すことは出来ない存在であるのは間違いないことと思います。

(掲載日2009年9月22日 2009年10月25日、History追記)

 

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