MAZDA SAVANNA  1971-1977 (S1##A)

Coupe AP GT 後期型(C-S124A 1975-1977) 

Coupe GS II 中期型(S102A 1972-1973)フジミ1/24 

Coupe GT 中期型(S124A 1973-1975)フジミ1/24 

HISTORY

東洋工業(現マツダ)が開発を続けた際、東大の教授を中心に『実用化は不可能』と、研究会まで発足させた(もっとも、こんな技術の進歩そのものを否定する研究会を発足させること自体、自らのレベルの低さと研究者としての理念の無さ、極論すれば無能さ、を露呈しているとしか思えないのですが、)未知の技術『ロータリーエンジン』。

パテントを持つ西ドイツ(当時)NSU社(現在はアウディグループ)でさえ、開発が難航し、夢とまで言われた実用化を不屈の精神力で実現させた東洋工業はロータリーエンジン専用に設計開発されたコスモスポーツ、ルーチェロータリークーペで量産体制を整え、看板車種であったファミリアをクーペ化したボディに搭載、後にセダンにも搭載させ、上級車のニューモデル『カペラ』にも、搭載車を用意するなど、矢継ぎ早にロータリーのラインナップを拡充し、『ロータリゼーション』というスローガンを掲げた販売戦略を行なう一方、レース活動にも力を入れ、夢の新エンジンの実力を国内外にアピールし、他メーカーに対する独自性と技術力の高さをアピールしていった。

その最中、コードネーム『X-808』は、ラインアップ拡充のため、新たにファミリア(後に『プレスト』のサブネームが追加)とカペラの間を埋める車種として開発された。

ただし、開発の際、従来の車種とは全く異なるバリエーション展開として。

東洋工業は『X-808』をレシプロ、すなわち従来の4サイクルエンジンとロータリーエンジン、双方のエンジンの搭載を前提にしていたのは先の『カペラ』と同じながら、それぞれのエンジンの搭載車を別車種として展開することで幅広い販売層をねらっていたのである。

勿論、レシプロは一般的な性能のファミリアクラスよりワンランク上のファミリー層、すなわちコロナ/ブルーバードクラス(もっとも、これらの車種はこの時期に車挌がワンランクアップしていますが)のマーケットに参入する一方で、実質的に今まで特殊な存在であったロータリーを大衆化、且つ高出力の性能を求むスポーツ層を満足させる性能のイメージリーダーカーとしての責務を担っていたのではないでしょうか・・・。

そして、1971年9月、『X-808』はそれぞれ『グランド・ファミリア』、『サバンナ』としてデビューする。
2ドアクーペ、4ドアセダンとデビュー当初はグランド・ファミリア専用で、翌72年1月にワゴン化されてサバンナに追加される5ドアライトバンのボディ形体でデビュー。
ここからはサバンナに限定いたしますが、エンジンはファミリア・ロータリー用10Aをベースにリファインされ、5ps、0.2kgmアップの105ps/7000rpmの最高出力と13,7kgm/3500rpmの最大トルクを発揮し、
(参考まで、コスモスポーツは前期型『L10A』は110ps/7000rpm、13.3kgm、後期型『L10B』は128ps/7000rpm、14.2kgm/5000rpm)
4速マニュアルトランスミッションを介し、最高速度180km/hの性能を発揮。
グレードはベースグレードの『標準車』(ちなみにこのグレード、ほんとにスタンダードなグレードで、タコメーターすら装備されていませんが、恐らくレース仕様のベース車両の意味合いもあったのでしょう)普及グレードの『クーペSX』『セダンRX』上級グレードの『クーペGS』『セダンGR』、そしてクーペ専用のトップグレード『GS II』が用意され、価格も60万円から75万円の価格とリーズナブルに抑えられ、『直感、サバンナ』のキャッチフレーズで販売、爆発的な人気を誇り、国内はもとより、海外でも『マツダRX-3』の名で販売がおこなわれる。なお、エンジンはすべての輸出仕様車が最初から12Aだけを搭載していたわけではなく、発売当初は仕様地によって10Aを搭載したモデルも存在いたします。

レースフィールドにおいて輸出名の『RX-3』の名称でのエントリーとなったのは国内向けが10Aのみでレギュレーション上のクラス分けで不利になるため、(恐らく、正規に搭載されているエンジン以外だと特殊クラスとなり、国内仕様をベースに12Aを換装したとみなされるのを避けるための対策として、輸出仕様車に対する規制や制限がなかったことを考慮しての事だと思います)なのはご存知のことと存じます。もちろん、常勝マシンであったスカイラインGT-Rを打ち破り、ツーリングカーレースの王者に君臨することになるのも、私が言うまでも無いでしょう。

デビューの翌年72年9月、『RX-3』は『クーペGT』として正式に発売、120ps/6500rpmの最高出力と16,2kgm/3500rpmの最大トルクを発揮し、従来モデルでは見送られていた5速マニュアルミッションを搭載し、メーカー公表値は、最高速190km/h、ゼロヨン加速は15.6秒、ただし、こちらは2名乗車時の数値として発表されています。
なぜにこのような測定方法をしたのか?
2名乗車とは、すなわちドライバーのほかにもう一名、といっても恐らく、実際には55kgのウエイト(法規上の重量計測において一人頭の重量は55kgと定められております)を積んだ状態としたのは、一名乗車の場合、あまりに速い数値な為、運輸省(現、国土交通省)から圧力が来ることを懸念しての措置だったのではないでしょうか。言い換えれば、それだけパフォーマンスに優れていたと言う証明でもありますが。
他のモデルからの変更点としてはインパネのセンター部の補助メーターが角型から丸型に変わり、テールランプガーニッシュの形状が改められたことで、2ヶ月遅れで他のグレード全車種、GTと同様の変更がなされました。

1973年6月、マイナーチェンジでフロントフェイスとテールランプが変更され、同時にイージードライブの声にこたえ、『クーペGS II』と『セダンGR』『スポーツワゴンGR』にすでに『カペラ』に先行搭載されていたJATCO社製オートマチックミッションを10Aエンジンに組み合わせた『REマチック』搭載車が追加され、この車両に限り翌月7月には排出ガス規制適合の為にエンジンを改良が加えられた12A型に変更、『AP』の名称が追加され、やや遅れた11月、マニュアルミッション車のエンジンも全車10Aから排出ガス対策が施された12Aに切り替えられ、こちらも『AP』の名称が付け加えられました。

管理人追記:『REマチック』搭載車の部分、当初から』12A型を搭載と書いておりましたが、実際には『AP』以前の車は10A型が搭載されており、こちらの部分、改定いたしました。
ご閲覧の皆様にはこの場を借りてお詫びと訂正させていただきます。(2006年8月20日)

1975年10月、51年排気ガス規制適合の為、全車種再度マイナーチェンジが行なわれ、ローターを模した三角形のエンブレムから、『MAZDA』の新しいデザインのマークに変更され、フロントスカート部が『エアロダイナミックスポイラー』一体式のデザインに改められると共に、『GT』のステアリングが3本スポーク式ながらスポーク部がプレス成形から一箇所当たり3本のワイヤー式の『シースルースポークステアリング』に改められ、『クーペSX』が消滅、『標準車』がラインナップから外された時期は不明ですが、恐らく、この時期かと思います。『クーペGS II』に設定されていたフェンダーモールとボンネットルーバーが廃止されている。

この時代、排出ガス規制により、他のメーカーのスポーツエンジンが消滅、あるいはパワーダウンを余儀なくされる最中、改良された12Aはパワーアップがなされ、125ps/6500rpmの最高出力と16,5kgm/3500rpmの最大トルクを発揮。これはロータリーエンジンは構造上排気ガスの有害成分のひとつ、『窒素酸化物=NOx』が少ないため、対策が容易であり、また他社に先駆けて排出ガス規制をクリアしたことにより、ロータリーは排気ガスがクリーンというイメージ戦略とツーリングカーレースにおいて連戦連勝を続け、人気車種として好調な販売成績であったものの、時代はむしろサバンナに対して逆風が吹いていた・・・

その最大の風は、73年のオイルショック。
ここで、ロータリーエンジンの未完成な部分が露呈してしまうことになる・・・。
そう、ロータリーは回転運動そのもののため、レシプロに比べスムーズな反面、抵抗が少ないが故に、エンジンブレーキの利きが悪く、さらに燃料消費率も悪く、排出ガス対策とともに燃費対策がなされてはいたものの、従来からのユーザーの中で燃費の悪さから代替するユーザーもでて、しかも悪いことに『ロータリーは灯油でも走る』という風評が流れたことでそれを実践するユーザーがでてきて、勿論そんな風説はデマであり、脱税になるとともに、当然ながらまともに走らず・・・エンジンを駄目にしたユーザーが嫌気をさして手放した車が結構な数、中古市場にながれて、ロータリーエンジン車の相場は下落。

更に悪いことに、もうひとつ、こちらは人気ゆえの副作用といえる現象がおこっていた。
そう、ツーリングカーの常勝マシンとなった『RX-3』のイメージとリーズナブルな値段と群を抜く高性能から、暴走族ご用達マシンとなってしまったことだった。当時はこちらもオイルショックと並んで社会問題となっており、ブランドイメージの低下を招いてしまうという事態になり、東洋工業の業績は悪化。

一説にはマツダに下取りで入ってきた車は程度の如何に関わらず、すべて廃車にされた(しかも、行政からの指導によるものだ、との噂もあるが・・・)という話もある。
もちろん、この話は伝え聞いた話に過ぎず、それを裏付ける確証など何も無いのですが、仮に、もしそれが事実だとしたら、非常に残念、かつ短絡的な考えとしか言いようがありません。実のところ、サバンナの現在の中古市場を見ればかなりタマ不足なようで、某オークションで程度極上の車体がかなりの人数が高額な入札をしているのを見てると、やるせない気持ちになります・・・
『サバンナ』に乗っている、あるいはこれから手に入れようとしている人間すべてが暴走族という訳で無いだろうに。

私事になりますが、私が小さいころ、(小学校に入るまえ)住んでいたアパートの住人さんで、黄色の前期型クーペに乗っており、(私が知る範囲で)程なくして後期型のガンメタのセダンに代替したおにーさんがいました。一度だけ、そのセダンに載せてもらった思い出がありますが、車以上にそのおにーさんの好青年ぶりが印象に残っていました。ちなみにその方は結婚されていて、恐らく、これから生まれてくるであろう新しい家族のため、セダンに変えたんだろう、と思います。(まぁ、その後、うちが引っ越しちゃいましたし・・・)

とはいえど、マツダはロータリーをあきらめなかった。

実用化させた不屈の精神で燃費改良に向かうと共に、『サバンナ』をまったく新しい形で生まれ変わらせ、不動の地位を築きあげることなる。


そう、『RX-7』という新しいコードナンバーを与えられて・・・。

(掲載日2005年12月15日)

 

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